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四手井城
所在地: 京都府京都市山科区厨子奥矢倉町
標高:44m
比高:0m
城域:220m×270m
していじょう
城史
山科盆地北部中央付近、渋谷街道に面した平野部に立地する。渋谷街道は、東海道の山科五条別れから清閑寺を越えて馬町(京都市東山区)へと通じており、室町時代を通して主要な街道として利用されている。
『言継卿記』元禄元年(1558)七月二十四日条に“勝軍城の人数、山科花山郷・四手野井城の辺り放火す”とあり、織田信長によって焼き討ちされたとする。
また、四手井家系図には、足利義昭に仕え、織田信長から南山城御牧郷を任されていたが、本能寺の変後、明智光秀に組みし、敗北するが、他の一族が羽柴秀吉に仕え家名は存続。江戸期には山科の郷士となった。
参考文献
京都府教育委員会 『京都府中世城館跡調査報告書3』 2014
下中直也 『史料 京都の歴史11』 1988
安田真紀子 「東海道日岡峠における木食正禅の道路改修事業」 『奈良史学』 第8号 奈良大学史学会 1990
山下正男 『京都市内およびその近辺の中世城郭』 京都大学人文科学研究所 1986
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